W杯

2022年は4年に一度の祭典であるW杯が開催される年。監督たちはどの選手を選ぶかに頭を悩ませる一方で、選手たちは自分が選ばれるよう日々の練習や試合に力を入れていることだろう。

周知の通りだが、W杯には限られたごく一部の選手しか出場することができない。なぜなら各国はその時に自国で最も優れている選手たちを選出するからだ。

しかし、過去には親子の2世代でW杯という大舞台に出場した強者たちが存在する。今回は、2世代にわたってW杯に出場した主な選手たちを紹介していこう。


1. フォルラン親子(ウルグアイ代表)

 

パブロ・フォルラン(1966、1974)

ディエゴ・フォルラン(2002、2010、2014)


南米のクラブでプレーしたパブロは、ディフェンダーとして2大会に出場。ベスト4入りを果たした1970年大会はメンバーから外れた。

一方のディエゴは、2010年大会で主力としてベスト4進出に貢献。同大会では5得点を決め、大会MVPにも輝いた。ディエゴはウルグアイ代表として初めて代表100試合を達成した選手だった。

2. アロンソ親子(スペイン代表)

 

ペリコ・アロンソ(1982)

シャビ・アロンソ(2006、2010、2014)


ペリコは、自国開催となった1982年スペイン大会に選出され、2次リーグまでの全5試合にスタメンとして出場した。スペイン代表はベスト4へ進出することができなかった。

一方のシャビは、3大会連続で出場し、2010年南アフリカ大会では全試合に出場して見事優勝に導いた。決勝のオランダ戦では、足裏で胸元を蹴られるというアクシデントにも見舞われたが87分までプレーし、中盤の底で守備を支えた。

3. マルディーニ親子(イタリア代表)

 

チェーザレ・マルディーニ(1962)

パオロ・マルディーニ(1990、1994、1998、2002)


チェーザレは、ACミランでは主力だったが、イタリア代表にはあまり縁がなかった。唯一の出場となった1962年大会では、グループステージ第3節でスタメン出場を果たしているが、チームはグループステージ敗退となった。1998年と2002年はそれぞれイタリア代表とパラグアイ代表の監督として出場した。

一方のパオロは、4大会連続でW杯に出場。1998年と2002年はキャプテンを務めたがそれぞれベスト8とベスト16で敗退。1990年は3位、1994年は準優勝と優勝を経験することはできなかった。W杯最多フル出場試合数(23試合)という記録を持っている。

4. エルナンデス親子(メキシコ代表)

 

チチャロ(1986)

チチャリート(2010、2014、2018)


チチャロは、自国開催となった1986年メキシコ大会に選ばれたが、準々決勝で西ドイツに敗れるまで出番は一度も訪れなかった。

一方のチチャリートは、3大会連続で出場し合計で4ゴールをマークした。ただチームは全てベスト16で敗退しており、ベスト8以上へ導くことはできなかった。2019年以降は代表に呼ばれていないが、カタールW杯のサプライズ招集も0%ではないだろう。

5. レイナ親子(スペイン代表)



ミゲル・レイナ(1966)

ぺぺ・レイナ(2006、2010、2014)


ミゲルは、イングランドで行われた1966年大会に選出されるも、控えGKとして出場することはなかった。チームもグループステージで敗退している。

一方のぺぺは、3大会連続で選出されるも、絶対的守護神であるカシージャスを前にスタメンを奪うことはできず。それでも、カシージャスのコンディションがよくなかった上にすでにグループステージ敗退が決まっていた2014年大会のGS第3節オーストラリア戦で出場し、クリーンシートを成し遂げた。

6. モンテロ親子(ウルグアイ代表)

 

フリオ・モンテロ(1970、1974)

パオロ・モンテロ(2002)


フリオは、1970年大会のベスト4進出へ貢献した選手の一人。全試合に出場した。2大会連続となった1974年大会もGS第1節でスタメン出場を果たしたが、後半に一発レッドを貰う。その後出場機会はなく、チームもグループステージ敗退となった。

一方のパオロは、2002年大会にのみ出場。グループステージ全試合に出場するも、2分1敗の成績で決勝トーナメント進出とはならなかった。

7. サンチス親子(スペイン代表)

 

マヌエル・サンチス・マルティネス(1966)

マヌエル・サンチス・オンティジュエロ(1990)


マヌエル・サンチス・マルティネスは、1966年大会に選出されるとグループステージ全試合に出場。しかし、チームは1勝2敗でグループステージ敗退となった。

一方のマヌエル・サンチス・オンティジュエロは、1990年大会でチームがベスト16で敗れるまで全試合に出場。これが唯一選出されたW杯となっているが、レアル・マドリードでの功績を考えるともっと選ばれてもおかしくはなかった。

8. ボルヘス親子(コスタリカ代表)

 

アレシャンドレ・ギマランイス(1990)

セルソ・ボルヘス(2014、2018)


アレシャンドレ・ギマランイスは、ブラジル出身だが代表はコスタリカを選択。1990年のW杯に出場し、4試合中3試合に出場した。監督としては、2002年と2006年のW杯でコスタリカ代表を率いた。

一方のセルソ・ボルヘスは、2014年と2018年に選出され、主力として全試合に出場。2014年大会は同国史上最高成績となるベスト8進出に貢献した。2022年のカタールW杯も主力として選ばれることになるだろう。

9. ブリント親子(オランダ代表)

 

ダニー・ブリント(1990、1994)

デイリー・ブリント(2014)


ダニーは、1990年と1994年に選出されたが、厚い選手層の中で出番が回ってくることはなかった。

一方のデイリーは、2014年大会に選出。主力としてチームの3位入賞に貢献した。3位決定戦では追加点となる2点目をマークし、チームの3-0での勝利に導いた。