上船利徳総監督

今年2月、ALLSTARS CLUBが兵庫県の強豪相生学院サッカー部のオフィシャルスポンサーになることが決定しました。

相生学院サッカー部は、サッカー選手育成プロジェクトとして発足した3年目に全国高校サッカー選手権兵庫県予選で準優勝を果たすなど凄まじい成長を成し遂げている。

そんな相生学院サッカー部を率いるのは、ドイツでプロとしてプレーした上船利徳総監督。今回は上船総監督を紹介していこう。


上船総監督の経歴

上船利徳総監督

上船利徳総監督。神奈川県生まれ29歳。

年中から兄の影響でサッカーをはじめた上船氏は、ヴェルディ川崎に憧れ、プロサッカー選手を目指す。

小学生時代は地元の少年団でプレーし、県大会に視察に訪れた川崎フロンターレのスタッフからジュニアスペシャルクラスにスカウトされた。

中学はヴェルディ調布、東京ヴェルディ1969の支部チームに所属。本部の東京ヴェルディ1969ジュニアユースとのゲームでは、0-10で負けるほどの差があったが、そこのベンチだった。

高校は単身で鹿児島の強豪神村学園へ行き、血が出るまでボールを蹴るなど、サッカー漬けの毎日をおくった。そして、高校3年生の時に神村学園を自らのキックで優勝させ、全国高校サッカー選手権に出場した。

大学は埼玉の東京国際大学に進学。当時県1部リーグに所属しており、強くなる真っ定中だった。270名の部員の中で、Bチームスタート。しかし、2年目でトップチームに上がると埼玉県優勝。ただ、出場機会は多くなかった。

3年目は関東2部リーグ。コンスタントに出場して、優勝に貢献。

4年目は創部依頼初の関東1部リーグでキャプテンが怪我でなかなか出場できなかった事で、ゲームキャプテンを務める試合が多いシーズンだった。

大学卒業からドイツへ


大学卒業後は、デュッセルドルフU-23やフォルトゥナケルン(ブンデスリーガ3部)の練習参加に呼ばれ、契約までは至らなかったものの、そこでの評価が高く、KFCユルディンゲン(当時ドイツ4部)とプロ契約を果たした。

しかし、練習中の怪我でなかなか思うようなシーズンを過ごせず契約満了。その後、ドイツ代表でワールドカップに出場した経験のある人が監督を務めるチームからオファーが届き、中心選手としてプレーしていたが、彼自身、膝の怪我を抱えた上で満足したプレーができずに引退・帰国を決断した。

サッカー選手から指導者の道へ


サッカー選手を引退し日本に帰国すると、地元にファーダンサッカースクールを設立。1年で、200名の選手を抱えた。その1年後、同時に明治大学体育会サッカー部のコーチに就任。そこで携わった選手30名が現在Jリーグでプレーしている。

そして、現在は淡路島で相生学院高校サッカー部総監督を務める。そこではなんと、立ち上げ3年目で兵庫県準優勝。初の卒業生は12名で、そのうち2名がJリーガー、1名ブンデスリーガU-19と、創設時は無名だった選手の中で、4人に1人がトップリーグでプレーする選手になった。

TOPチーム監督のジェリー・ペイトン氏は、長年ベンゲル監督の元、アーセナルでトップチームの指導者に携わっていた人物だが、『プレミアリーグでも1チームから3人もトッププレーヤーに育てるチームはなかなかない』と発言しており、淡路島プロジェクトの凄さが分かる。

また、先日はゼムノビッチ氏(画像の人物)が相生学院サッカー部のヤングプレーヤー監督に就任したのだが、彼を招聘したのも上船氏だった。

ゼムノビッチ

何もなかった島に、サッカーチームを作り、世界・全国から集め、これからも、【淡路島から世界へ】をキーワードに活動していく。