史上初のプロサッカー選手ご存知ですか?


1800年代後半、サッカーはアマチュアのスポーツだった。選手たちは一般の社会人で、時間のある時にプレーしていたが、それを変えたのは一人の男だと言われている。

彼の名前はファーガス・スーターで、スコットランドの石工だった。時は1878年、彼はスコットランドからイングランドに渡り、初めてサッカーで給料をもらうことになった。そこで、新しいサッカーのプレー方法も学んだ。

スコットランドにイングランドのプレー方法(主にパスをメインにするプレー)を持ち帰り、試合の進め方にも変化を起こした。それまでのサッカーはドリブル中心で、一人のプレーヤーがドリブルでボールを前に持ち運び、チームメイトはドリブルしている人の後ろに集まってた。ボールを失った場合、後ろにいるチームメイトがボールを拾い、再び先ほどのようにドリブルで前に運ぶだけだった。

スーターはパスをゲームの一部として取り入れることに先鞭をつけ、また、ボールを前方にパスするという独創的なアイデアを生み出した選手であった。これにより、より多くのオープンスペースが生まれ、試合に動きが生まれたのだ。試合がよりダイナミックになり、お金を払ってサッカーの試合を見たいと思う気持ちがイギリスの人々の間で広がりました。

スーターがイングランドにあるランカシャー州のクラブに着いた時、クラブのメンバーに「新しいプレーの仕方」を教えたそう。しかし、当時のイギリス社会では、サッカーでお金を貰うのは認められていなかったため、スーターはクラブからお金をもらっていたことを隠さなければならなかった。

その後、より多くの報酬をもらうため、地元のライバルチームであるブラックバーンFCに移籍した。1882年にはFAカップの決勝戦に進出し2位になった。その後1884年、1885年、そして1886年にFAカップで優勝した。

しかし、まだサッカーはアマチュアスポーツと考えられており、プロ化されたのは、1888年のイングリッシュ・フットボールリーグの設立の時だった。スーターがプロの選手として出場したのは一度だけで、1888年の12月にウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCのサブゴールキーパーとしてプレーした。 その後、彼はランカシャー州でホテルを経営し、1916年に亡くなった。

ファーガス・スーターのストーリーは「The English Game」のネットフリックスシリーズにもなっている。