マンチェスターユナイテッド

22-23年夏、移籍市場の閉鎖間際にアヤックスからマンチェスター・ユナイテッドに移籍したブラジル代表FWアントニー。この夏のプレミアリーグで最も高い9500万ユーロという移籍金が支払われた。

9月5日にオールド・トラッフォードで行われたアーセナルとの一戦でデビューを果たすと、前半35分に先制点を記録するなどいきなり活躍を見せた。

このように順風満帆に見えるアントニーのサッカー人生だが、実は彼は幼い頃貧しい生活をおくっていたという。

今回はイギリスの「Sky Sports」が行なったインタビューを抜粋し、アントニーのここまでの人生を紹介していこう。

アントニー:「ファヴェーラ出身の貧しい少年でした。プレーするためのスパイクも持っていなかった。家には寝室はなく、ソファーで寝ていました。家の場所はファヴェーラの中心で、18メートル先にはドラッグ販売人がいました。日曜日にサッカーの試合を見ていたら、その匂いが家に漂ってくるんです」

ファヴェーラとはブラジルのスラム街のこと。サンパウロのオザスコという街で育ったアントニーの幼少期は激動の日々だった。

アントニー:「きょうだいと3人で泣きながら抱き合って、この先の人生を考えることもありました。深夜に水浸しになった時、家の水を汲み出すことも多々ありました。それでも笑顔でそれをやっていましたね」

このように厳しい環境で育ったアントニーだったが、夢中になれる大好きなものがあった。

アントニー:「僕はずっとサッカーが好きだったんです。兄はいつも僕にドリブルの仕方を教えてくれました。彼は今日も僕と一緒だし、僕のキャリアを見守っていてくれる。常に僕のスキルアップのために力を貸してくれています」

アントニー:「僕はいつも『サッカー選手になる!』としか考えていませんでした。他の夢を持たずにね。本当にサッカーをプレーするのが大好きだったんです」

彼を変えてくれたのは、大好きなサッカーだった。彼の兄も協力的で、いつもドリブルの練習に付き添ってくれていたそう。

そんなドリブルの能力が認められ、18歳の時に名門サンパウロへ入団することに。そしてそこで一定の活躍を見せると、ついにヨーロッパへ渡るチャンスを手に入れた。

アントニー:「僕はパンデミックの最中に一人でアヤックスに来ました。息子と離れ離れになるのは寂しかった。彼が初めて歩いたところはビデオでしか見ていないんです」

アントニー:「でも僕は後悔はしていない。息子が良い将来を迎えられるために、そして彼が僕のことを誇りに思ってもらえるようにすることが一番大切です。夜、どれだけ僕が彼のことを考えながら泣いていたとしても」

アントニー:「彼はいろいろな苦難を乗り越えて、今は近くで幸せそうに過ごしているよ」

一人のサッカー選手としては大きなステップアップであるため、喜ばしい出来事だった。しかし、一人の人間として幼い息子と遠く離れ離れになるのは辛かっただろう。

コロナウイルスの真っ只中に一人旅立ったアントニーだったが、そこでも屈することなく活躍を見せた。エールディヴィジ制覇2回に貢献するなど輝かしい成績も残した。

さらなるステップアップの機会が訪れたのは22-23年の夏。プレミアリーグの強豪マンチェスター・ユナイテッドから声がかかったのだ。

アントニー:「難しかった。不安だった。でも早くここにきてユナイテッドのユニフォームを着たかったんです」

アントニー:「アヤックスにいるときも夜も眠れない時もありました。知っての通り、ここの関係者たちと連絡を取り合っていました。マンチェスターUの根気強さ、信頼、僕が契約にサインするのを待ってくれたこと、そして僕に大きな希望を与えてくれたことに感謝しています」

アントニー:「今はとても幸せだし、このクラブでこのユニフォームを着ていることに充実感があります」

そして迎えた9月5日アーセナルとのデビュー戦、前半に先制点をマークし、チームの勝利に貢献した。

アントニー:「ネットが揺れてファンが立ち上がって歓声を上げた時、とても感動して鳥肌が立ちました。あのゴールは家族とファンのためのゴールです」