アンチェロッティ

アンチェロッティ率いるレアル・マドリードの14度目の欧州制覇で幕を閉じた21-22シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ。

今回レアル・マドリードで2度目の欧州制覇を果たした彼はミラン時代にも2度CLを制しており、監督として通算4度目のCL制覇となった。

監督として通算4度のCL優勝は歴代単独トップの数字であり、CLの歴史に名を刻んだことになる。

毎年、ビッグクラブが凌ぎを削り、ハイレベルな戦いが繰り広げられるこの大会を制することは選手・監督にとって悲願であるが、実際は決勝に進むチャンスを得ることすら難しい。

そんな非常に高いレベルで争われるCLだが、今回はアンチェロッティ以外にCLを複数回制覇した経験を持つ監督を紹介する。

ジネディーヌ・ジダン

2016年にレアル・マドリードのラファ・ベニテスの後任として就任したジダン。サッカー界のレジェンドが監督としてどうなるかは誰も全く予想できなかった。ジダンはマドリーの下部組織での監督やトップチームでの副監督を務めた経験はあったものの、トップクラブでの監督としての経験はなかった。しかし彼は監督として勝負強さを発揮し、最初のシーズンでマドリーをCL優勝へ導いた。

迎えた翌シーズンも決勝でユベントスを破り優勝。さらに17-18シーズンも決勝でリバプールを破り、前人未到の3連覇を達成した。その後、彼は17-18シーズン終了後に監督退任を発表した。

しかし、18−19シーズン、マドリーはクリスティアーノ・ロナウドの退団に伴う苦境に陥り、ペレス会長はジダンに監督復帰を要請。監督復帰を果たした。19−20シーズンにラ・リーガを制覇するなどしたが、20−21シーズン終了後に退任した。

ビセンテ・デル・ボスケ

レアル・マドリードの監督として99−00シーズン、01−02シーズンのCLで優勝監督となったデル・ボスケ。

ラウール、フィーゴ、ロナウド、ジダンらを擁し、銀河系軍と呼ばれたマドリーを率いた。デル・ボスケが2度目の優勝を果たした2002年の決勝では、ジダンがロベルト・カルロスのクロスに合わせたスーパーボレーが生まれた。

ペップ・グアルディオラ

ペップはバルサ史上最高のチームを作り上げ、2008年から2011年までの3年間で2度チャンピオンズリーグ制覇を成し遂げた。

自身初の優勝は2009年で、バルサは6冠を達成した。CLの決勝ではエトー、メッシのゴールでマンチェスター・ユナイテッドを破り優勝。

2011年には、再び決勝に進むとまたもやユナイテッドを破り、優勝。決勝ではユナイテッド相手に圧巻のパフォーマンスを見せ、彼らのサッカーは史上最高のサッカーとも呼ばれた。

バルサの監督退任後に率いたバイエルン、現在監督を務めるシティではCL優勝の経験はなく、20−21シーズンは決勝に進出したものの、決勝でチェルシーに敗れた。

バルサでは2度CL制し、その後率いたクラブでもリーグ戦で圧倒的な数字を残すもCLのタイトルには一度も届いていない。リーグタイトルを何度も獲得している彼にとってCLのタイトルは最大の目標なのではないだろうか。

サー・アレックス・ファーガソン

英国サッカー史上最高の監督であるファーガソンは、2度、マンチェスター・ユナイテッドにCLのタイトルをもたらした。

1度目のCL制覇はバイエルンとカンプ・ノウで対戦した1999年。1点ビハインドで迎えた試合終了間際、途中出場していたテディ・シェリンガムとオレ・グンナー・スールシャールがロスタイムに立て続けにゴールを決め逆転に成功。カンプ・ノウの奇跡と呼ばれる逆転劇で自身初のCL制覇を達成した。この年ユナイテッドは史上初の3冠を達成した。

2度目の制覇となったのはモスクワでチェルシーと対戦した2008年。雨が降る中行われたこの試合はCロナウドのゴールで先制するもランパードのゴールで同点。試合は1-1のまま両者譲らず120分が経過し、PK戦に突入した。

PK戦では3人目のCロナウドが外し、チェルシーリードのまま5人目に突入。テリーが成功すればチェルシー優勝という状況だったが足を滑らせ失敗。その後、チェルシー7人目のアネルカのキックをファンデルサールがセーブし、ユナイテッドが優勝となった。ユナイテッドはシーズンダブル優勝を達成した。

ファーガソン監督はその後、決勝でバルセロナに2度敗れたが、27年間監督を務めたユナイテッドでは通算2度CLを制覇した。

ユップ・ハインケス

ドイツの名将として知られるハインケスは、1度目のCL優勝から15年の時を経て異なるクラブでCLを制覇した。

最初の優勝は1998年にレアル・マドリードで、決勝ではプレドラグ・ミヤトビッチの決勝弾でユベントスを1-0で下した。その後ポルトガルやスペイン、ドイツのクラブで監督を歴任したハインケスは2011年にバイエルンの監督に就任。

マドリーでの1度目のCL制覇から15年後となる2013年にはバイエルンの監督として決勝でドルトムントを下し優勝。リーグ・国内カップ戦も制覇し3冠を達成した。

ジョゼ・モウリーニョ

プロとしての選手キャリアはないモウリーニョは、通訳として名将ボビー・ロブソンの下バルセロナやFCポルトでスタッフとして働き、2000年にはベンフィカで監督としてのキャリアをスタートさせた。

2002年には低迷していたポルトの監督に就任すると02-03シーズンにはポルトガルリーグ・国内カップ戦・UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)で優勝し3冠を達成。03-04シーズンにはCLでも快進撃を見せユナイテッドなど強豪を撃破し自身初のCL優勝を達成する。

その活躍が認められ、2004年にはイングランドのチェルシーに活躍の場を移すと、リーグでは強固な守備陣を形成し、リーグ戦で連覇を達成するなどの成績を残したが、オーナーのアブラモビッチとの確執が噂され、2007年に契約解除となった。チェルシーでのCLの成績はベスト4進出が最高成績だった。

フリーとなったモウリーニョだったが、2008年にはマンチーニ監督の後任としてインテルの監督に就任。08−09シーズンにリーグ優勝を果たすなどその手腕を発揮した。そして09−10シーズンには古巣チェルシーやバルサ、決勝ではバイエルンを破り自身2度目のCL制覇を成し遂げた。このシーズン、インテルはリーグ、国内カップ戦も制覇しイタリア史上初の3冠を達成した。しかし、モウリーニョは09−10シーズン限りでの退任が発表され、レアル・マドリード監督就任が発表された。

2010年以降はマドリー、チェルシー、マンチェスター・ユナイテッド、トッテナムなどで指揮を執り、現在はローマの指揮官を務めるモウリーニョだが、CLの舞台では2010年にインテルで優勝した時以来、決勝進出を果たせていない。

オットマー・ヒッツフェルト

現役時代はFWとしてプレーしたヒッツフェルトはスイスで監督としてのキャリアをスタートさせると、1991年にブンデスリーガで低迷していたドルトムントの監督に就任。対戦相手の分析能力に長けていたヒッツフェルトはブンデスリーガを制するなどチームを立て直した。

パウロ・ソウザやマティアス・ザマーらを擁し臨んだ96−97シーズンのCLではマンチェスター・ユナイテッドを破るなどして決勝に進出。決勝ではユベントスに3−1で勝利し、見事優勝に導いた。

ドルトムントでの手腕を評価されたヒッツフェルトは1998年にバイエルンの監督に就任。リーグ優勝に4度導くなど結果を残すと、CLでは00−01シーズンにマンチェスター・ユナイテッドやレアル・マドリードを破り、決勝に進出。決勝ではバレンシアとのPK戦にまでもつれこむ激闘となったものの、オリバー・カーンがペジェグリーノのキックをセーブし優勝となった。