21-22シーズン、インテルはコンテの代わりにシモーネ・インザーギが就任した。20-21シーズンには、セリエAのスクデットを獲得したコンテ率いるインテル。

その後バトンを受け取ったシモーネ監督はコンテ時代の前形を崩さず、3-5-2のシステムを維持しながら圧倒的な強さを見せつける。コッパ、スーペルコッパ優勝、そしてCLではベスト16だったものの今季絶好調のリバプールを苦しめ2ndlegでは勝利を収めている。

その中核を担っていたのがLWBのペリシッチだが、同選手は21-22シーズン限りでクラブを退団し、フリーでトッテナムに移籍することが決まった。そのトッテナムで現在監督を務めるのが、昨シーズンインテルの監督だったコンテだ。

他のクラブも獲得に動いていた中でペリシッチがトッテナムを選んだのは、コンテの存在が大きかっただろう。

また22-23シーズンからマンチェスターユナイテッドの監督に就任したテンハーグだが、リサンドロマルティネスとアントニーもマンチェスターユナイテッドにやってきたため、再開することとなった。

今回はペリシッチとコンテのように選手と監督の再会を紹介する。

ティアゴ – グアルディオラ


07-08シーズンのバルセロナB時代からティアゴはペップとの繋がりがあり、翌年の08-09シーズンではペップはトップチームの監督を任せられ、ティアゴもトップチームでデビューしている。

グアルディオラは2012年にバルセロナを去り、その一年後にバイエルンに就任。若手テクニシャンであるティアゴには多くのクレが期待していたものの、黄金時代のバルセロナの中盤の活躍もあり、あまり出場機会を得られなかった。

バルセロナはティアゴの契約内容にあった一定の試合出場数を達しなかったため、違約金が9,000万ユーロから1,800万ユーロまで減少し、割安でバイエルンに移籍。一年ぶりのティアゴ-ペップの再会が実現した。

ペップはバイエルンで14−15シーズン終了時まで指揮を執り、約2年間2人はタッグを組んだ。

ペップはその後、16−17シーズンからマンチェスター・シティの監督に就任し、ティアゴは2020年にリバプールに移籍。現在はプレミアリーグの異なるクラブでタイトルを争っている。

ハメス・ロドリゲス – アンチェロッティ

ポルトやモナコで活躍し2014年のブラジルW杯で印象的なプレーを見せたハメスは、14−15シーズンの開幕前にレアル・マドリード移籍が決定した。ハメスがマドリーに加入した当時の監督は名将アンチェロッティだった。

2013年からマドリーの監督を務めていたアンチェロッティは1年目の13−14シーズンのチャンピオンズリーグでマドリーを10度目の優勝に導いていた。

アンチェロッティのマドリーに加わったハメスは1年目となった14−15シーズンから出場機会を得ると、ラ・リーガで29試合に出場した。

しかし、無冠に終わったマドリーはアンチェロッティの解任を決定した。アンチェロッティの後を継いだのはラファエル・ベニテスだったが、成績不振によりシーズン途中に解任され、2016年1月ジダンが監督に就任した。

ジダン監督就任後、大きく出場機会を減らしたハメスは、2017年に出場機会を求めアンチェロッティが監督を務めていたバイエルンにレンタル移籍。再会を果たした。

レンタル期間終了となった2019年6月にマドリー復帰を果たしたが、ジダンの下で出場機会を得ることができず、アンチェロッティが指揮していたエバートンに移籍した。

しかしアンチェロッティが21−22シーズン前にマドリーの監督に復帰するとベニテスが監督に就任。マドリー時代、ベニテスと確執があったハメスは戦力外を言い渡されエバートンを去った。

前田大然 – ポステコグルー

2022年の冬、マリノスからセルティックに移籍した前田大然。日本人をたくさん獲得していることで話題にもなった現セルティック監督のポステコグルーは、2018年から2021年まで横浜F・マリノスの指揮官を務めていた。

21-22シーズン、ポステコグルーはセルティックの監督に就任。その半年後の冬の移籍シーズンで同選手を期限付き移籍で獲得した。ポステコグルーは前田大然のスプリントから繰り出されるハードワークに心酔しており、セルティックのシーズン後半戦、彼のプレスは現地メディアでも注目を浴びていた。

5月23日にはセルティックへの完全移籍が発表され、セルティックでの2人の更なる活躍が期待される。

ジョルジーニョ – サッリ

ヴェローナなどで活躍し、ナポリに加入したジョルジーニョと、エンポリで監督として頭角を表し、ナポリの監督に就任したサッリ。2人が出会ったのはサッリがナポリの監督に就任した2015年。

ポゼッションサッカーを志向していたサッリは、ジョルジーニョをアンカーに据える。20チーム制になって以降のクラブ最高勝ち点を獲得したにもかかわらず、最終的にユベントスに優勝を譲り、1年目となった15−16シーズンは2位に終わった。

続く16−17シーズンはユベントスにイグアインを引き抜かれるなどしたが、メルテンスなどの活躍もあり86ポイントを獲得。2シーズン連続でクラブ史上最高の勝ち点を記録した。17−18シーズンもユベントスと優勝争いを繰り広げたものの終盤に失速し優勝を逃した。

ジョルジーニョは、サッリのナポリでアンカーとして起用され続け、17-18シーズンには欧州最多となる2860本のパスを成功させるなど存在感を示し、ペップのマンチェスター・シティが獲得に興味を示すなどした。

ユベントスと優勝争いをするほどのチームにナポリを押し上げたことを評価され、2018年には同じくイタリア人監督のコンテの後任としてチェルシーの監督に就任した。

サッリのチェルシー監督就任により、ジョルジーニョもチェルシーに移籍。再びイングランドでタッグを組むことになった。

チェルシーでの最初のシーズンとなった18−19シーズンは開幕から8勝2分と開幕ダッシュに成功したがシーズン途中に失速し、最終的にはリーグ3位で終わった。それでも、ヨーロッパリーグでは決勝でアーセナルを4−1で下し、優勝を果たした。ジョルジーニョは中心選手としてリーグ戦で37試合に出場した。

サッリはシーズン終了後、2年の契約が残っていたが、イタリア復帰を希望し、ユベントスの監督就任が発表された。サッリのイングランドでの挑戦は1年で幕を閉じた。

一方サッリと共にイングランドに渡ったジョルジーニョは、ランパードやトゥヘルの下でも出場機会を掴んだ。現在もチェルシーでプレーを続けており、20−21シーズンにはチャンピオンズリーグ優勝を果たしている。