レバンドフスキ

1月1日に今年も冬の移籍マーケットが開幕した。海外サッカーファンにとっては注目している選手がステップアップや出場機会を求め移籍を行う。

選手の移籍には移籍金が発生するが契約満了など様々なことを理由に移籍金なしのフリー移籍を行う選手がいる。非常に力のある選手であっても時に移籍金なしで移籍した例が過去にいくつもある。

今回はALLSTARS CLUBが選ぶ過去に起こった主なフリー移籍TOP5を紹介し、当時の経緯を振り返る。

ルイス・エンリケ(レアル・マドリード→バルセロナ) 1996年夏

1991年からレアル・マドリードでプレーしていたルイス・エンリケはリーグ優勝を経験するなど中盤の選手として活躍していたが、首脳陣と対立し、契約延長交渉が決裂。1996年夏にフリー移籍を果たした。そしてその移籍先は宿敵バルセロナ。

移籍当初はマドリーファンからはもちろん、バルサファンから懐疑的な意見があったが移籍初年度に17ゴールを記録。その後カタルーニャ語を学ぶなどし、バルサファンの心をつかみ、キャプテンを務めた。現役引退までバルサでプレーし、引退後もバルサの監督を務め、CL制覇などを果たした。

ミヒャエル・バラック(バイエルン・ミュンヘン→チェルシー)2006年夏

ドイツ代表の司令塔として活躍したバラックは、2002年からバイエルン・ミュンヘンで活躍。キャプテンなどを務めるなどしたが、2006年に契約満了となり、チェルシーに加入。プレミアリーグ優勝やCL決勝進出などを経験した。チェルシーでは2010年までプレーし、退団後はレバークーゼンでプレーした。

ポール・ポグバ(マンチェスターU→ユベントス)2012年夏、2022年夏

マンチェスターUの下部組織で育ち、2011年にトップチームデビューを果たしたポグバは出場機会を求め、2012年にユベントスにフリー移籍。マルキジオが負傷離脱した際に得た出場機会をつかみ、スタメンに定着。セリエAでの圧倒的な強さを見せるユベントスの中心選手として活躍し、CL決勝進出なども経験した。

2016年に当時史上最高額で古巣マンチェスターUに移籍を果たした。ユナイテッドでは怪我やモウリーニョ監督との対立に悩まされるなどした。2022年の契約満了までプレーしたポグバはフリートランスファーでのユベントス復帰が発表された。

アンドレア・ピルロ(ACミラン→ユベントス)2011年夏

ミランで2001年から2011年までプレーし、レジスタとしてチームの指揮を執り、アンチェロティ監督の下、中盤の底で絶対的な選手としてプレーした。ミラン時代にはリーグ優勝2回、CL優勝2回、W杯優勝などを経験した。

2011年に契約満了を機にユベントスにフリー移籍。当時32歳でミランでのキャリアの終盤は怪我がちで全盛期ほどのパフォーマンスを発揮できなかったことから懐疑的な意見もあったが、コンテ監督の下、チームを牽引。個人としてリーグ4連覇を経験し、14−15シーズンにはCL決勝進出を果たした。決勝ではバルサに敗れ涙した姿が印象的であった。2015年にユベントスを退団し、2017年に引退を発表した。

ロベルト・レバンドフスキ(ドルトムント→バイエルン・ミュンヘン)2014年夏

2010年にドルトムントに加入したレバンドフスキは加入当初はバリオスの控えだったが、バリオスの離脱にともないスタメンを奪取。香川真司らと共にリーグ連覇に貢献。12−13シーズンのCLでは準決勝のレアル・マドリード戦で4得点を記録する活躍を見せ衝撃を与えた。同シーズン決勝に進出したもののバイエルン・ミュンヘンに敗れ、準優勝となった。

かねてより、移籍を希望していたが2014年1月にフリーでバイエルン加入が決定し、夏に加入した。バイエルン移籍後は絶対的なストライカーとしてリーグ優勝8回、自身初のCL優勝を達成した。現在はバルセロナに活躍の場を移し、未だその能力の高さを見せている。