審判

日本の審判界では「ルールはひとつだから、子供と大人、女性と男性、国内と国外で判定基準や考え方は変わらないし、変えてはいけない」というのが定説です。

ところが、僕が国際審判として国外で試合やセミナーに参加してわかったことは「日本で言われている判定基準や考え方が全てではない」ということです。このことを知ってからは、国内と国外、あるいは大会によって判定基準や考え方を柔軟に変えながら審判をするようになりました。

そこで今回は、『国内と国外における判定基準や考え方の違いとその適応方法』をテーマに、なぜフットボールは国や地域や大会によって違いが生まれるのか、違いに対してどう適応するのかについてお話しします。

なぜフットボールは国や地域や大会によって違いが生まれるのか

スタジアム

まず前提として、フットボールは『競技規則の基本的な考え方とその精神』に基づいて、起きた事象に加えて、その程度や状況に応じて『競技規則』を適用することを主審に求めています。

そして『競技規則』は、スポーツの中でも特に決まりごとが少なく、抽象的かつ曖昧にしか明示されていないのが特徴です。ですので、ある事象が起きてそれが反則に値するかどうかは、起きた事実が何で、その事実をどう解釈するかによって決まります。

具体的には、相手を蹴っただけでは反則にはならず、蹴ったという事実に加えて、それが「不用意に、無謀に、過剰な力で犯された」と解釈される場合のみ反則と認定されるということです。

こういったフットボールの特性によって、押したり蹴った行為に対して「ファウルだ!」「いや、問題ない!」というような意見の食い違いが世界中のいたる所で起きています。

文化的側面の多様性による違い

次に、世界にはいろいろな国や宗教、民族や人種が存在しています。さらには歴史、文化、風習、言語、価値観なども多種多様です。これらが意味するところは、たとえ同じものを見てもその捉え方や感じ方はそれぞれ違う可能性があるということです。

ですので、いくらフットボールがひとつの競技規則に基づいて行われているとはいえ、それぞれの国や地域でフットボールや競技規則に対する考え方や解釈に違いが生まれてしまうということです。

たとえばヨーロッパの中で5大リーグと言われるイングランド、ドイツ、スペイン、フランス、イタリアでは、それぞれフットボールや競技規則に対する考え方や判定基準が違います。彼らはそれを良しとしていますし、フットボールはそういうものだと考えています。

ところが、国を超えてヨーロッパ全域の大会となると話は変わってきて、その場合はヨーロッパを統一するUEFA(欧州フットボール連盟)が主催大会における判定基準を設定します。

それはアジアでも南米でも同じです。そして世界大会を開催する場合は、世界を統一しているFIFA(国際フットボール連盟)がその主催大会における判定基準を設定します。

これらはすべて、ひとつの競技規則をもとに判定基準を設定しているので共通項は多いのですが、細かな点でいろいろと違いがあります。違いがあるとはいえ、それが競技規則とその精神に反していない限り認められているというのが現状です。

最も大きな壁になり得る要素〜言語〜

また言語の違いは、ニュアンスの違いを生み出します。たとえば、英語を日本語に直訳してもなかなか理解できなかったり、言いたいことの真意が伝わらないことは皆さんも経験があると思います。

フットボールの競技規則は、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語の4つが主要言語となっています。日本は英語版の競技規則を日本語に翻訳していますが、誰が翻訳するかによって日本語の表現も変わってきます。

あるいは、スペイン語版の競技規則を日本語に翻訳すると、英語版を翻訳したものとはまた違った日本語版の競技規則が生まれる可能性があります。

大事なことは、使われている単語にとらわれるのではなく、その単語の背景にある伝えたいメッセージや真意は何かということです。

試合のレベルや戦い方から生まれる違い

それからプロの試合とアマの試合、クラブの試合と国の試合、リーグ戦とトーナメント戦、育成年代のワールドカップとフル代表のワールドカップでは、競技のレベルも戦い方も周りから求められることも全く違います。

レベルや戦い方や要求が違うということは、フットボールに対する考え方や判定基準に違いが生まれることを意味します。

違いは象徴であり、個性であり、価値である

このように、フットボールはひとつの競技規則に基づいて行われているとはいえ、国や地域や大会によって、もっといえば人によって判定基準や考え方に違いがありながらも、それぞれの価値観や考え方の中で楽しまれているというのが現状です。

大切なことは、違いをなくすことでも、違いを善悪や優劣で判断することでもありません。

IFAB(国際フットボール評議会)の定めるフットボールの規則とその精神から逸脱することなく、それぞれの事情や価値観や基準に基づいて選手がプレーし、見る人がフットボールを楽しみ、審判が判定を下すことです。

違いは象徴であり、個性であり、価値です。フットボールはそれらを許容し、尊重しています。

違いに対してどう適応するのか

では、違いに対してどう適応するのかというと、一言でいえば「郷に入れば郷に従え」ということです。そして次の3つ、違いを知る、違いを受け入れる、違いを楽しむを実施することで適応できるようになります。

【ポイント】

・違いを知る
・違いを受け入れる
・違いを楽しむ

まず、違いそのものは悪でも劣でもありません。

ですので、偏見を持たず違いを観察して、何が違うのか、どこが違うのか、なぜ違うのかといったことに関心をもって違いを知ってください。

次に違いを知ったら、今度は違いの背景に目を向けてください。

ものごとの違いや考え方、捉え方の違いは往々にして、歴史や文化、生活習慣、価値観、言語などの違いからきています。違いの背景がわかれば、違いは割と簡単に受け入れられるようになります。

そして違いを受け入れたら、その違いを楽しんでください。

その方法のひとつとして、まずは相手の懐に飛び込む、というのはとても良い策です。不安や恐怖や違和感はあると思いますが、とにかく少しでいいのでやってみる、そしてとにかく楽しもうとすることです。

具体的な行動としては、異国の食事に挑戦する、違う言語を覚えて話す、宗教を学ぶ、異文化の衣服を着る、異国の人と一緒に時間を過ごす、いろいろ質問してみるなどです。

人は共通項や類似性があると親和性が高まります。ですのでとにかく恐れず、恥ずかしがらず、勇気と好奇心をもって違いを楽しんで下さい。

まとめ

いかがでしたか。違いは国外だけではなく、皆さんの周りにもたくさんあります。

たとえば北海道と沖縄、京都と大阪では、歴史や文化、風習の違いから同じ日本人でも、ものごとに対する考え方や価値観は違います。

あるいは、妻と夫、親と子、姉と弟で考え方や価値観は違います。

違いは楽しさや面白さの源泉であり、新しいものを創造する力があります。どうか違いを忌み嫌うのではなく、受け止め活かすようにしてください。それによってあなたはさらに光り輝き、あなたの人生がより豊かなものになっていきます。

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家本政明

家本政明氏

【プロフィール】 1973年広島県福山市生まれ。96年に1級審判を全国最年少で取得。2002年からJ2、04年からJ1で主審を担当。05年からプロ審判となり、国際審判にも選出。10年に日本人初の英国ウェンブリー・スタジアムで試合を担当。11年に英国初の外国籍審判としてFAカップの試合を担当。21年に勇退。国際試合100試合以上、Jリーグは歴代最多516試合の主審を担当。現在はJリーグフットボール企画戦略部マネージャーとして活動中。同志社大学経済学部卒、グロービス経営大学院卒